ちょっと気になる記事を見つけたのよ。
死を正しく認識する?っていうのはちょっとよくわからない。
死んだことがないので。
しかし、死ぬということが身近にあることは私は知っている。
世の中の普通は私にとって普通ではない。
※ここでいう普通は死なないという前提で生きていることを普通だと考えることを指します。
まさか!そんな!信じられない!こんなことで!?
人間はあっさりと死んでしまう。
昨日は元気でも何かで今日死ぬかもしれない。
こんなことになるなんて。
は、当たり前のように毎日起こる。
私は恐怖に襲われPTSDにも苦しんだ。
心的外傷後ストレス障害(しんてきがいしょうごストレスしょうがい、Post Traumatic Stress Disorder、PTSD)は、命の安全が脅かされるような出来事(戦争、天災、事故、犯罪、虐待など)によって強い精神的衝撃を受けることが原因で、著しい苦痛や、生活機能の障害をもたらしているストレス障害である[1]。症状がまだ1か月を経ていないものは急性ストレス障害である。
心的外傷(トラウマ)には事故・災害時の急性トラウマと、児童虐待など繰り返し加害される慢性の心的外傷がある。
治療では、精神療法においては認知行動療法やEMDR、ストレス管理法である[2]。成人のPTSDにおける薬物療法はSSRI系の抗うつ薬であるが、中等度以上のうつ病が併存しているか、精神療法が成果を上げないあるいは利用できない場合の選択肢である[3]。日本および国際的なガイドラインにおいて、ベンゾジアゼピン系の薬剤の効果は疑問視されている
そんな経験もあり、死ぬことが身近に感じている。
もしかしたら僕だったかもしれない。
特別な人間というワケではないが、「人間が死ぬ」ということを理解している。
僕は彼の分も生きることを勝手に誓った。
周りが就職だとか、内定が決まったと言ってるときに僕は捜索隊の一員として山に入って死体を探し回っていた。
この話はまた今度にする。今でも心臓が締め付けられる。
今でも考える。
あのときどうすればよかったのか。判断は間違っていなったのか。
なにをしていたのか。
山の遭難のニュースを見ればすぐにわかる。
あの山か。とか、どういう状況なんだろうとか。
どれほど危険でそれほど心細いか。
イメージはかなり湧く。
でも、世間では違うようだ。
ニュースの話は笑い話に。
遠くの話でも近くの話でも自分には関係ないと言い切ってしまう。
災害や事故でも「悲惨だね」で終わる。
僕は「生きているのが奇跡」だと思うのでいつも仕事でもプライベートも本気だ。
1日は重要だ。昨日より今日、今日より明日も大事。毎日がかなり大事だ。
だって明日死ぬかもしれないのだから。
でも普通はそうではないらしい。明日も明後日も死なないし、ずっと死なない。
老後を考えている。
やりたいことを先延ばしにする考えが私にはない。
好きなことを好きなだけできるのに、やらないのが当たり前。
社会人だから。家族を持っているから。お金が必要だから。
いろいろやるとバカにされる。
一人旅もバカにされる。
会社が一番大事で、仕事が一番大事らしい。
もちろん大事だけど、一番ではない。
仕事のためにやりたいことができないなんて信じられないからすぐに「なんで?」となってしまうし、なんで仕事以外にしてない人にそんなことを言われるのだ?となる。
仕事だけじゃないとは思うけど、なんで人を否定するのか。。。
そんなことをしている暇はないと思うのだけど・・。
私はなにかに挑戦するなら支援するし、褒めるし応援する。
それが仕事に関係がなくても。行動することはそれだけで大事だと思う。
逆に何もしないということが信じられなくて仕方がない。
何もしないというか、今はしないというか、、、
もともとの考えだと思う。明日がある。先がある。
死なないことが前提なのだから当たり前か。
だから死ぬことが近くにいない。
死なないのだから、死ぬことに興味がないのだろう。
その気持ちが強く感じたのがまもなく訪れる3月11日の震災だ。
みんな震災の話はすごくしてたし、騒いでいた。
でも、「自分には関係がない」といつも同じ日常を送っている。
うまく表現できないけど、生きてるのが当たり前なので、今日も生きて仕事してるのが当たり前で、それ以外は関係がなくて、その先もきっと当たり前に生きてるので、別に「なにか残そう」とも思わないし、「やりたいことをやろう」ということもなく、毎日毎日を何かよくわからない歯車のように動いているように私には見える。
いやいやいやいやいやいやいや。
普通の状態ではない。日本は普通ではなかった。
ニュースで見て、気仙沼市が燃えている映像をみて本気で怖くて震えて泣いた。
連日死者のニュースであふれているのに、普段と同じように生活をしていて、休みの日はデートだったり旅行だったり、世間ではまったく関係がないらしい。
もう僕は逆に意味がわからなくて。
誰も何もしてなくて。
会社も震災のためだとかいって節電したり、寄付を募ったり。
よくよく聞くと震災のためになんて何もなってなくて、利益を伸ばす口実みたいな状態だった。アホか
でも、みんな賛同してて本当にワケがわからない。
そんな中で私はすっとんでいってしまった。
だって、もしかしたら明日死ぬかもしれないんだぜ?
誰かが死ぬかもしれないんだぜ?
行ったら行ったで会社にもどってきたら変人扱いだ。
ひどいさまだった。
よっぽど復興に貢献したような気はするのだけど。。。
いろんな人の話を聞いて、悔しい気持ちのまま行ってしまった人の分まで生きようってやっぱり思うワケ。
あの場所には夢も希望も、家族も仲間もたくさんいたんだ。
一瞬で世界は変わってしまった。
壮絶な怖さだ。明日にもそうなるかもしれない。
僕は常に思っている。
だから何ができるのか探している。
老後にやっても仕方がない。
今なんだ。
今こそ気になることは全部やっておくべきなんだ。
後悔する気はないんだから。
「生き急いでる30代」と呼ばれるのは僕だ。
本気でそうなのだ。
私は生き急いでいる。
人間は死ぬ。
それが今日なのか明日なのかわからないが、
僕たちの残った命のはあまりにも不安定な分しか残されていないのだから。
文章まとまってませんが、今度整理するのでこのままあげちゃう。
おやすみなさい(全員無視