トピック「被災」について
3.15更新
本日は3・11。
私は震災を受けた人間ではないので、詳しいことはわからないし、
何がどうだってことはわからない。
震災後7か月後にいった2011年10月の東北のことを思い出して記事にしようと思う
はじめてニュースをみた。
その時、海岸線沿いに炎に包まれていてあまりの衝撃でTVを見ながら
これが本当に現実なのかと恐怖で泣いた。
阪神淡路大震災もTVでみただけで、何もピンとはきてなかったし、
当時はまだ小学生だった。
でも今回は違った。
誰かのために生きようなんて思ってはいないけど、
何かできることがあるんじゃないのか?とか、
今やることってなんだろうか?
いつも通りの会社に行って仕事して、どうでもいいような話をして・・・・
いやいや、違うよと。
いやいやみんななにやってんだよ!!って思ったので、すぐにいけなかったけど、
7カ月たった2011年の10月、
私は仕事終わりにそのまま夜行バスに乗り、東北仙台まで行きました。
このころからいつでもノープラン。後先も考えずにまずは一歩を踏み出す。
夜行バスで移動中に現地の役所やボランティア団体を調べて連絡をした。
場所は
仙台、本塩釜市。海沿い側は津波のせいか信号も動いていないし、道もガタガタだ。
人通りもすくない。体育館に行った。
写真洗浄のボランティアだ。
大阪からの参加者は私だけで、あとは地元の人たちが集まっていた。
写真の会社が主催していて、海水や泥で汚れた誰のものかわからない膨大な量のアルバム、膨大な写真枚数にバクテリアが広がらないように洗い流すという仕事。
劣化の進んだものはスキャナーで取り込み、画像加工をしてもとの状態に近い形にしている。
写真は持ち主のわからないもので、結婚式、還暦、家族、生まれたばかりの赤ちゃん、本当に様々な人生を見るようなアルバムばかりで、持ち主が心配でならないし、私はすぐ泣いちゃう。うう・・・・。
思い出は消えない復興!
写真の主催の方へお話を聞いた。こんな膨大な仕事は大変ではないか?と、
こんな回答をいただけた。
「フィルムの元は我々の商品なので、ボランティアではなく当たり前と思ってしている。
キレイに仕上げて元の持ち主に返すのが我々の仕事だ」
気迫と責任と想いを感じました。本当にお世話になりました。
地元の参加者の方々と昼ごはんを一緒に食べたりして話を聞いていると「どこが無事だった」「どこが無事じゃなかった」「避難から家に帰ると家がなかった」「帰ると知らない人が住んでいた」「犬が子供を産んでいた」などいろんなお話がそのとき聞けた。
その後、レンタカーを借りて仙台から南三陸町へ行きました。
(ニュースで南三陸町でボランティアをしていると聞いていたので)
カーナビはつけていました。
あたりは真っ暗で、時間は22時ごろ。
いつになったら目的地に到着するのか不安ではありましたが、
走行している道路に違和感があらわれました。
車も全然走っていません。電車も線路が流されてないとのこと。
両サイドのガードレールがいびつな方向にひしゃげていて、
だんだん道も凸凹になりました。
カーナビから、次の信号を右に。
信号はありません。
カーナビからファミリーマートを左に。
ファミリーマートはありません。
まもなく線路です。ご注意ください。
線路はありません。
あたりに街灯も何もなく真っ暗で見えません。
私は心底恐ろしいというか、衝撃がありすぎて、動けなくなりました。
時間は深夜1時。本当に真っ暗で今の車がどういう場所にあるかわからないのも恐怖でした。見たこともないぐらいひしゃげたガソリンスタンドに車をとめて夜が明けるのを待ちました。ノープランは二度としないと心に決めました。。
空の星を見て泣きました。カーナビのガイダンスが心底怖かった。
日の出とともに移動し南三陸町につきました。
朝の日の出に向かってお祈りをしている方が多数おられました。
ガレキはとてつもなく高く積まれていました。
半年たってもこんな状況で、ニュースはやはり一部だけで、実際にみるのは大きく違うし、考え方や想いも感じ方や価値観はかわったかと思います。
役所がわからなかったので、写真洗浄ボランティアの時に「何かできることがありますか?人手の足りないところありますか?」と聞いた際、気仙沼市でも写真洗浄のボランティアをしているとのことでそちらに向かいました。
あきらめないを繋ごう!あきらめないTシャツを滞在するボランティアスタッフにお渡し。
飛び入りではございましたが、快く手伝わせてもらえました。
他にも他県からのボランティアの方々がおられたり、寝泊りをともにしながらずっとボランティアをしている人もいてたり。
お話を聞いてるととにかく熱い人ばっかりだ!
そしてその後ろにはボランティアスタッフを支える応援のおたよりや支援の声があるとのこと。
そんなボランティアもあれば、
体育館の奥の岬で漁するひとに話を聞くと
網で魚を捕まえることができない。かきの養殖はまだできない。
行方不明者がまだたくさんいてる。おれたちは底引き網で海に落ちたゴミを集めてるんだ。
って、漁のおじいさんたちが話をしてくれました。
すごく組織がしっかりしていて、各場所ごとに車やバスで移動。
車を持っている人は車を使ってもらったり、みんなで協力して現地へいく。
モンスターハンターのように、掲示板に要請内容や人数が貼ってあって、それをみて「これに行きたい人ー!」と人数を決めて出発する。
注意事項は骨の発見がある可能性があるとのこと。
この場所がどういう場所なのか骨身に染みた。
中には観光バスでよっぱらったおっさんがいてたり、ほんといろんな人がきていた。
仕事を辞めた人や合間を縫ってきた人、ずっとボランテイア生活をしている人などなど
話を聞けば聞くほど、すごく使命感があったり、自分にできることをやるっていう思いが強く感じました。
自分になにができるかって本当にわからないけど、行動しないと・・・
そして次のひとにお話をして、その人がまたその話をしてくれて・・・・日本でおこったことで、私たちは同じ日本人で、困っている人がいたら助けようよって、助けるために動ける気持ちと考えをみんなが持っていればもっともっと私たちもなにかできると思うのよね。ただ、活気のあるもとの町に。。。。私はずっと考えているんだけど、一体なにをどうすればいいのか、わからない。それでも私は私のできるボランティアをこれからもしてみようと思うワケです。
→続き 2012年11月 NPO法人のボランティアに参加 南相馬市の現状
→続き2013年10月 仙台空港 南相馬市ボランティアに参加 松島観光
は、これから記述しようと思います。
※文章下手で もうしわけございません。また、伺ったことのみ記述しておりますが、事実とは異なることもあるかもしれません。あらかじめご了承ください。
不快な文章がある場合は削除いたします。