生け花の展示会へ行ってまいりました。
場所は重要文化財の旧杉山邸にておこなっております。
今更知りましたが、華道の方には華道の名前があるようで、
それはそれは奥ゆかしい名前が皆様ついております。
今更ですが華道には流派が多数あり、さまざまな特徴があるとか、ないとか
池坊
日本最古の流派で、祖は天台宗の頂法寺の僧、池坊専慶と言われています。専慶は連歌師としても名をなした人ですが、何よりも花を立てることを好み、新しい手法の花をいけたて花の名手と言われました。彼の革新的な手法が後の立花の基礎となるのです。ちなみに池坊とは、当時頂法寺内にあった一僧房の名称で、その名は室町時代よりたて花の家として市中になりひびいていました。その為今日でも、池坊の家元は代々、頂法寺に僧籍を置くものとされています。池坊の花は立花に始まり、その後生花、投げ入れ、盛花と発展してきました。古流
江戸中期生花の草創期に江戸に発生した流派の一つで創始者は今井一志軒宗普と言われています。その後、古流の名を本格的に広めたのは三代目関本理遊、四代目理恩です。理恩は儒教の教えを元に「天・地・人、三才の理念」を作り上げ生花の体系作りをして古流の名を不動のものにします。理恩は明治維新のいけばな衰退期に不遇の晩年を閉じますが、後に数名の弟子達により古流が継承されます。以後多くの分派ができ、現在は140もの古流系統があると言われています。遠州流
現在、○○遠州流と称するいくつもの流派があり、総称して遠州流と呼んでいます。遠州流の特徴は、流麗な曲線にあり、指し口が一箇所と限らない点です。また花留めの技術、「薬研配」や「おさ込み」が考案された事により初心者でもたやすく花を留める事ができるようになり、幕末から明治にかけて一大ブームを巻き起こしました。未生流
流祖は未生一甫で大阪にて看板をかかげました。、未生流の花の特徴は理論的に計算しつくされた隙のない緊張感のある美しさにあるといえます。また、一甫のいけばなは易学から影響を受けた非常に精神性の高いものでした。その後未生流の名を広めたのは二代目の広甫です。広甫の作風は綺麗でその評判は京都にも聞こえ、乞われて嵯峨御所と呼ばれていた大覚寺の花務職につきました。ここで未生御流の名を賜りそこから分派したうちの一つが現在の「嵯峨御流」です。三代目以降は色々な分派ができ現在では未生流を名乗る派は数百にのぼると言われています。小原流
小原流の祖は、盛花を考案し、また池坊の要職にあった小原雲心です。雲心は盛花に、各流派がこばんでいた洋花を取り入れいけばなを大衆化した功績で知られています。また、二代目光雲は男性ばかりで占められていた花教授の職を女性にも開放するなどいけばなの近代化につとめました。三代目豊雲も海外での活躍など意欲的に活動し、その地盤はもはやゆるぎないものとなり、池坊、草月流とともに三大流派と言われるまでになりました。草月流
流祖は勅使河原蒼風です。草月流のいけばなの特色は、自然らしさよりも、いけた人の主観がより強く生かされるところにあります。花材には枯れ枝や石や金属なども使用されます。いわゆるオブジェと称する造形的ないけばなが、草月流のいけばなです。嵯峨御流
現在の嵯峨御流は、三派の総称で、生花の未生御流、盛花と瓶花の嵯峨流、儀式や宴会などで生けられる荘厳華を統一した名前です。この流派は家元制度はなく流派の運営は華道総司所という機関によってなされ、華道総裁は代々、大覚寺の門跡が受け継いでいます。未生流の二代目広甫が大覚寺の花務職につき未生御流の名を賜った事から、未生流とは大変縁の深い流派です。
いやぁー勉強になるなぁー・・・。
最近は写真ばかりですが、このサイトは写真のブログなのです。
だからいいのです。
では行ってきます!