腐ったみかんは俺かお前か?

どっちが腐っているのかな?そんなブログ。

大阪から東日本大震災へ『実際に見た震災とボランティア』

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2011年3月11日。

この日大変なことが起こった。

僕は大阪でTVを見ていた。

信じられない映像だったのを覚えている。

本当に震えた。怖かった。日本でこんなことが起きるのかと・・・。

次の日。

世界はあたりまえのようにいつも通りだった。

同じように仕事をし、同じ仲間に会って・・・・・

こんな違和感はない。昨日のことがなかったことになっているようなそんな不思議といか、気持ちの悪い。どうにもこうにも気持ちがすっきりしなくて・・・

 

 

気付いたら


※南三陸町 

僕は東北に来ていた。

 

こちらの記事はボランティアに行って見た聞いたことを記述しています。

正確な情報ではございませんのでご理解ください。 

 

 

 

 

 

 

 

ちゃんとボランティア保険とか入っていった。

2011年の10月。事故から7か月後。

 

現場ではいろんな問題を抱えていた。

 

 

『行方不明者の捜索』

瓦礫の撤去も進んでいなくて、家屋もめちゃくちゃ。

そんな中で、陸前高田市のボランティアセンターへ僕はきていた。

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このころはあちこちからボランティアが集まってきてた。

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聞こえはいいけど、集まる人は様々だった。

観光気分の人。修学旅行みたいなバス。いろいろだった。

でも暗い気持ちでなんてボランティアできないものね。よっぱらいも多かった。

おじさんも多かった。おじいさんも多かった。

 

各地の観光バスも大振る舞いでたくさんの企業のバスが右往左往していた。

 

そんな中でボランティアで集まった人たちでチームを組んで各エリアに行くことになる。今回僕と一緒になったのは30代~40代くらいの人達で、大工関係だったり、土木関係だったり、特化した職業の人が集まった。

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休みの度に来てるらしい。

「あんなことが起こったのに、当たり前みたいに過ごすのはオカシイ」

「自分に何ができるのか考えた」

「何か役に立てることがあるはずだ」

ボランティアで集まった人たちは本当に気持ちが熱かった。

僕も同じ気持ちだった。

 

この時はまだ7ヶ月しかたっていない。

 

「骨のようなものが見つかります。昨日も見つかりました。骨っぽいのが出てきたら連絡してほしい。まだ行方不明の方はたくさんいます。」

朝礼で聞かされたのはそんな話だった。



この時、僕は一人で来ていて、南三陸町、陸前高田市、気仙沼市、塩亀市といろいろ周った。めちゃくちゃ泣いた。幽霊が見れるようになったのはこの時からだ。

 

カーナビが怖かった。

「次の信号を右です」「線路です。」「ファミリーマートを左です。」

全部の指示は嘘っぱちで、そこには瓦礫しかなく、恐怖でしかなかった。

あんなに真っ暗闇はなかった。震えた。道に迷って瓦礫の道の真ん中で夜を明かした。

 

南三陸町には朝の5時に到着した。

 


 

朝なのに、いろんな人が浜辺に向かってお祈りをしてたのが印象的だった。



「誰もいなくなっちまったよ!あっはっは」って朝を散歩しているおじいさんが言ってた。

冥福を祈るしかない、生きてるって望むしかない。

ってさ。元気だった。複雑な気持ちだった。っていうかもう震えた。



ここにはいろんな未来を夢見た人がいたはずだなんてよくわかんないことを思い始めたりだった。

 

 

気仙沼市

 

あちこちで組織があって、ボランティア活動をしている。

それは独自なものだったり、役所関係のものだったり、企業のものだったり・・・・



気仙沼市の体育館では写真のボランティアをしていた。フジフィルムさんとかもやってたよね。いやぁー震災で泥だらけになった持ち主不明の大量の写真をバクテリアから守るため、洗ってほして、保存してっていう作業を一日中した。

 



いろんな思い出が詰まったもので、すっげぇー泣けた。赤ちゃんが産まれた写真、結婚式の写真、赤いちゃんちゃんこの写真。この写真の持ち主が生きてることだけを願った。






※この写真撮影場所は塩亀市の写真ボランティアです。気仙沼市で撮影したデータはなくなってました(悲しい)

 

 



気仙沼市の一番端の場所で出会ったおじいさんたち。

賑やかにお昼からお酒を飲んでたんだけど、カキの養殖をしてたらしい。

でも、震災後は海水もずっと濁っててカキの養殖もできないらしい。

だから毎日海に出て、海水をキレイにするために網をかけているんだって。

いっぱい骨が取れるらしい。

骨を拾って海をキレイにするんだって。まだまだ行方不明者がいて自分たちにできることをするって言ってた。

今はもうカキの養殖もスタートしてお仕事できてるみたい。ニュースで見た時嬉しい

かった。おじいさんの顔を思い出した。

 

これ以外にもいっぱい話を聞いた。

悲しみにあふれていて本当にやばかった。

これが、2011年に見た東北の震災だった。

 

 

そういえば地元の役所が「友好関係」とか「みんなのため」とか言って

「歌を送ろう」ってなった時は戦慄を覚えました。

ホントかウソかは知りませんが・・・・・知らないは恐ろしい答えを導きますよね。

それなら実際に行くべきだよ。やっぱり。はぁーなんだかな。って思った。

でも、行かなかったら僕も何も知らないままだったし、TVの情報しか知らなかった。

真実は本当に違うことが多い。いかに無知かと思うとぞっとする。

  

2012年の東北 震災から1年と8か月

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あれから1年と8か月後。

東北は相変わらず瓦礫の山で、まるでそこだけ世界が違うかのように空気は乾いていた。

大型トラックが止まることなく行ききしていて、たくさんの人が日夜物を運んでいるようなイメージだった。

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瓦礫の量は減っていても、原発の汚染問題は重視されていて、道のあちこちに汚染区域看板があった。

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検問もあって、そこの町の住人という証明がなければ入れなかった。

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町には誰もいなくて本当にゴーストタウンがあちこちにあった。

そこに住んでいるのはおじいさんとイヌだけだった。

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東北のあちこちで商店街がオープンしていて、いろんなものの販売をしていた。

ニュースでも取り上げられていて、TVで見ると人がたくさん集まったり、復興復興と言われているけど実際はどうだろうか?

商店街はそこに住む人用・・・・?いやそこにはもうほとんど人は住んでいない。

工事の人やボランティアの人をメインにしているのは明白だった。

決して盛り上がってるようには見えなかった。

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東北で取れた魚も売ってた。定価くらいの価格だろうか?わからないけど。。

汚染された魚?どういう表現が正しいかどうかわからないけど、全然売れない。

検査してるかどうかっていうと、検査なんかしてるワケないし、地元漁師は漁師しかできないと言ってた。

お鍋用に購入して実家にも送ったし僕も食べた。

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なぜかトイレにこんなものが設置されていて意味が不明だった。10円稼ぎたいのか?

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気仙沼市には電信柱はが立ってた。※上が2011年、下が2012年。

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ボランティアも活発だったけど話を聞くと思ってるのと違うかった。

・家出してきた

・無料で泊まれるから

・ボランティアが思ってたのと違う

・やることがなかった

・仕事を辞めたから

と、ボランティアという概念がよくわからなくなってきた。

また外国人の観光としてもたくさんの人がボランティアとして派遣されてきていた。

「ここが有名な震災の場所かぁー」というアクティビティのような感じに見えた。

いろんな人が集まる場所になってしまった東北だ。

ボランティアの内容も震災と関係のないものも多かった。

だけど着々と復興に向かっているような気がする。復興ってなんだろう?

 

2013年の東北 あれから2年と6か月がたった。

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瓦礫の撤去はほぼほぼ終わっているように見える。※写真は仙台空港周辺。

ただしまた別の問題がうかがえる。

それは警察のパトロールが異常に多く、走っているとすぐにパトカーがついてくる。

看板を見ると「空き巣注意」だ

誰もいなくなった場所、家、土地を空き巣が好き放題にしているらしい。

不法侵入もざらにあるんだって。

こんな問題まであるのか・・・。

南相馬市へ行ってきた。放射能汚染区域周辺にあるので、あちこちで汚染土壌が積み上げられている。

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汚染土壌のボランティアは本当によくわからなくて、A地点からB地点に土を運ぶだけだ。

そこの土が汚染かどうかもわからない。運んだらビニールシートをかぶせて終わり。

なんのために何をしているのかわからないけど、ボランティアの扱いもあちこちでどうすればいいかわからないからとりあえず何かやってもらうのボランティアになってるような気がした。

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まだまだ入れない区域もたくさんある。

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ここでアートのボランティア団体に出会い、公園の遊具を塗り替えるボランティアをした。

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放射能の問題は深刻でこの地域に子供のいる世帯は2世帯だけとのこと。

引っ越していくので人がドンドンいなくなっていくみたい。

子供のいる家庭は放射能の危険のある地域でなんて生活したくない。

そりゃそうだ。

復興はどうなったら復興なのか?キレイになっても人がいなければ復興にはならない。

 

2013年の僕の見た東北は

・どんどん人が去っていった

・どんどんボランティアはやることがなくなってきたっぽい

・瓦礫はほぼない

・汚染問題は深刻

 

2015年の東北 あれから4年と2ヶ月

 長い月日がたったように思うけど、この場所に来ると感慨深い。

瓦礫や汚染土などはほとんどが撤去されている感じ。

それでもこの年にやっと放射能の区域が解除された場所があったりと、まだまだと思ってしまう。

そんな南相馬市でイベントがあり、僕はボランティアとして再び訪れていた。

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この広い公園でイベントがある。ボランティアでお世話になったアートホープジャパンが主催?なのかな?ここ南相馬市で気球を飛ばす。

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いろんなイベントも同時に開催していて、子供の顔にペイントをしたり、お人形w作ったり、いろんな場所で製作した華を展示したり、アートをしたり、歌を歌ったり。

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僕も子供顔にペイントしたりして、平和を願ったりしてた。

子供たちは「カブトムシを書いて」とか言ってたけど、できたのはヘドラみたいな模様だった。ゴメン。カブトムシは紙にもかけないのに顔にはかけない。

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子供たちもたくさん・・・たくさんとは言っても数えられるほどだけどきてきてくれて嬉しいかった。

でも話を聞くと「大丈夫とは言うけど、水は絶対に飲まない、プールには絶対入らせない」など放射能に関しては何が真実はかはわからないけど、みんな口々に発表されているのは一部で信用できないと口々に言ってた。

風に流されてもっと広い範囲で汚染されているのに発表されない。とか。。わからないけど。

不安いっぱいあるこの場所で、気球が飛んだ。

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すごかった。なんとも言えない感動だった。

 

2日間行われた。はじめて気球にも乗せていただいた。

 

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本当にいろいろ考えることがあるのよね。

説明会にも行ってきた。

東電の見解、国の見解、地方自治体の見解。保証問題。汚染問題。

もう本当に様々だった。

自宅の庭の土は汚染された。賠償金を払え。とか。

国が責任持てとか、わからんではないけど、幅が広がりすぎて話を聞いても整理できないレベルだった。答えはどこだ。

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いろんな人のいろんな気持ちを載せて気球は空高く飛んでいたんだよね。
すごく心に残っている。

あの日みた気球は一番キレイだった。

まだまだ悲しみから立ち直れない人もいる。

震災から4年。

人がいなくなったところに、今度は成長していろんな人が戻ってきた話もたくさん聞いた。東京や大阪に就職で出て行ってた30代~40代の人たちが地元にたくさん戻ってきて新しい取り組みや、会社を建てて、いろいろと動いているんだって。

僕より若い人も社長だ。話を聞けば聞くほど、熱い。

「自分の産まれたところだから盛り上げたい」

「なにかできることがあると思って戻ってきた」

 若い力がすごく感じたのがこの年だった。

まとめ

僕の見た東北はいかがだったでしょうか?

何かできるとこがないか?今のこのままでいいのか?自分が行って役に立つのか?

いろんな考えはあると思いますが、まずは自分の目で確かめることだと思いました。

TVやメディアで放送している内容と実際はかなり異なると感じます。

印象も全然違います。

復興はどこがゴールかわかりません。3月11日になっても大して放送もされなくなりました。TVで放送されるのは注目を浴びるような内容に真実を曲げたものも多いです。

そこには自分とおなじ人が住んでいて、泣いたり、笑ったりいっぱいいろいろあります。

どこか自分と関係ないとか思ってしまいそうですが、一度実際のところを見てみると、TVのことや、いろんなことが別の見え方に変わります。

今からでも遅くないよ!!東北にちょっと遊びに行ってきなさいよ。

ボランティアやりたぁーいとかあんまり言わないほうがいいよ。あと個人で行くのがいいと思ったよ。ボランティアを受け入れる側のほうが大変なのだしね。

熊本の震災の時も大変だったみたいよ。体制も整ってないのに雪崩のようにボランティアきて困ったって言ってたよ。

 

ボランティアして良かった悪かったか

個人的には本当によかった。いろんな人とも知り合えたし、日本にもこんな場所があったっていろんな発見もあった。

日本の政府の動きや自治体の動きもわかったし、本当に僕たちはこの国に生きてるんだなって思えました。

あと、いっぱい涙が出ました。生きるって本当に重要で、大事って思った。

1日も無駄にしたくないなって思ったし、その人の分まで生きようって一生懸命異様って思いました。あと人助けしようと思いました。

その反面、人間って嫌だなとも思いました。いろんな人いますし、自分の利益を求めるのもわかります。僕のような自由に動く人間は会社からは嫌われます。

上司に言われます。「掃除とか家きてやってよ。ボランティア好きなんでしょ?」って。マジでクソじゃない?

企業や会社から見ると嫌われる可能性はあるけど、それでもね。いろんなことを知ってしっかり自分で考えるようになったほうが絶対にいい。

 

これからボランティアやろうって人へ

アドバイスがあるなら、一人で全部できるようになってから現地に行ってね。

お金、食料、移動手段、できない場合でも情報をしっかり収集していきましょう。

自分の思い通りにならなくてもボランティアは自由に個人でするものではありません。組織に従ってやりましょう。

「こんなことしたくない。思ってたのと違う」そんなんばっかりです。

落ち着け。

ボランティア団体や地方自治体によって活動内容は異なります。

僕の場合はあちこちで話聞いて、「〇〇さんから話を聞いてきました」とか紹介してもらいながらあちこち回っていました。

 

もう一つやってほしいこと

それはしゃべることです。広めることです。

震災なんていい物ではありません。

でも、言わないと忘れます。誰かに伝えないと自己満足なだけです。

いっぱいしゃべりましょう。僕は仕事柄しゃべる仕事なので、いろんな人に伝えました。中には実際に東北へ行った人もたくさんいます。

いろいろな人とお話しをして伝えていきましょう。

今回のブログもそうです。伝える。残す。めっちゃ大事だと思います。

 

 

3月11日は東北の記事をこれからも書いていきたいと思います。

 

 

2011年~2015年。行った場所は数知れず。

ボランティアの方々ありがとうございました。

東北の皆様お世話になりました。

ボランティアの方や現地の皆様に好評だったシャツはこちら★



※気仙沼のボランティアさんに渡したよー

「あきらめない」Tシャツは各地で無料でボランティアの施設で配ってきました。

 

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 全部で5か所に置いてきた。 

いまどうなっているのだろうか・・・・きっと邪魔だったでしょうけど・・・。

 

 

 

 

 

最後に

 

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 いろいろありましたが、あの時みた気球。

 

 

すごく美しくて、みんな空高く浮かぶ気球に見惚れてた。

 

 

子供の目は美しく輝いてみえた。

 

まだまだ人間捨てたもんじゃないな。って。

まだまだできることあるよね。って。

 

人生なんて何が起こるかわからないけど、この笑顔を見れるなら、できる事はちゃんとやろう。見知らぬフリができる人より、行動できる人になろう。

 

と、思ったワケ。

 

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これ見てるお前も頑張れ!

 

おわり。(腐ってない記事?

 

東北の記事はこちら★

東日本大震災アーカイブス ~あれから1年8ヵ月後~2012年ボランティアに行ってきたときの話(前編) - 腐ったみかんは俺かお前か?

東日本大震災アーカイブス ~あれから7ヶ月後~2011年ボランティアに行ってきたときの話 - 腐ったみかんは俺かお前か?

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