3月11日
東日本大震災の記録としてボランティア活動の記事を書いております。
あの震災から1年と8か月。
テレビではあまり放送されなくなり、仮設住宅の話がたまにあるぐらい。
復興は進んでいるのか、現状は一体どうなっているのか?
私は仕事柄、話をする機会が多いので、ボランティア活動の話や、東北はこうだったよーという話をよくしていた。繰り返す話すうちに興味を持ってくれた人が現れたり、実際に現地を見に行ってきたよ!っていう人も現れた。
私に出来ることはまずはお話しをすることだろうと一生懸命話をしていた。
同僚や上司からは嫌な目で見られたし、「私の家の掃除のボランティアもやってよ」みたいな心ない言葉もたくさん受けた。
腹は立ったが、休みをもらっていかせて頂いているのだろうから、好き勝手に言わせてやろう。そんなところは見てないのだ。もう一度あの場所へ私は行きたいのだ。
きっかけは陸前高田市から届いたお礼のハガキだった。
内容は「ありがとう」と「これからもがんばります」という内容だったけど、
普通に考えてあれだけの大災害、1年やそこらで大きく変わるワケはないし、復興資金もワケのわからないことに使われている・・・ようだ。ニュースを見る限り。
復興とはいったいなんなんでしょうか?
もとになんて戻るワケない。思い立った私はいつの間にか深夜バスに乗り込み・・・・・
気づけば私はまた仙台の駅にいた。
仙台からレンタカーで気仙沼市を目指す。
あの体育館はまだあるのだろうか?写真救済プロジェクトのみんなはいるのだろうか?
海岸沿いにつくまではやはり普段通りのだ。
「がんばろう岩手」
あれから何か変わったのだろうか・・・?
気仙沼市だ。
このころあちこちに屋台村というか、横丁というか、食事処や販売店があつまる場所がいくつもできていて、テレビでも商店街が復活したよー!!って放送をたくさんしていた。
2011年にみたときからは大きくかわっているようだ。
ただ今の時間はどこのお店も閉まっていたので、トイレだけ借りることにしました。
プレハブ小屋のようなトイレ。
用を足していると電子音が・・・・
全部のトイレについている。
10円入れて用を足すと・・・・・
「どれだけでるかなぁー?あー残念ー!!」(かわいい声)
オィィィィィィイイーー!!何があってこうなったの気仙沼市!!!
よくわからないけどすっごい装置取り付けてるのよぉぉー!!!!!
復興とはいったい何なのか、真実を探して私は探索をはじめた。
去年に比べればかなり新しい道路が増えている。でも浸水している道路もいっぱいある。
建物の間取りだけが残っている。
一定の場所まではすべて家がなくなっている。
信号機が復活している。車の通りも多い。
看板関係は写真の通り立て看板が活躍している。
一番奥に見えるのは去年もみた気仙沼市の船だ。
おっちゃんと一緒に船を見る。お話しを聞くとこの船を保管するのか、撤去するのかモメているという。各地方で災害の部分を残す話が出ているそうだ。(神戸の震災メモリアルパークのように)一方では保存していく考えがあり、一方では災害を思い出す象徴になるのではと声が出ているらしい。でもどうやら撤去に方向に進みそうなんだって。
相変わらずの巨大さで、去年に比べてやっぱり信号機が増えている。
それだけでも気仙沼市が先に進んでいる。そんな気がした。
年と比較すると周辺の建物は撤去されているねぇ~。
上が2011年10月、下が2012年11月。
気仙沼体育館を目指す。写真洗浄ボランティアの拠点だったところだ。
あの時のみんなは残っているのだろうか?どうなっているのだろうか?
写真の掲示など何もなくなっている。
守衛さんに話を聞くと、写真洗浄ボランティアは他の場所へいってしまったそうで、そのとき集まっていた持ち主不明の荷物や写真も移動していったとのこと。
今は通常の機能を取り戻し、市役所、消防、警察として活動しているらしい。
(* ̄0 ̄)/ オゥッ!!
次は陸前高田市
向かう途中に「復幸マルシェ」
こういった集合商店街がホントに多くみられた(^^)/イイネ!
陸前高田市もガレキはホントになくなりつつあった。それでもまだまだ放置された車や無限ともいえるトラックがひっきりなしに走っている。
時間が遅くなってしまったけど、ボランティアセンターは前と同じ場所にあった。
話を伺おうとしましたが、門前払いされてしまった。
とても冷たかったなぁー。でも私が悪いか。時間も遅い・・・いや18時くらいやで。
メンバーも知らない人ばかりだった。入れ替わったのだろう。
仕方なく先へ進む。
今回は知り合いからの紹介で、遠野にあるボランティア団体で活動することになっていたのだ。
遠野のボランティアセンターでは若年層がすごく多く見えた。
畳の広い部屋に1畳分が自分のスペースだ。
20代前半くらいの人が多く、おっちゃんたちはそんなにいないように見えた。
次の日、
海外の人から、東京の会社の人たちがバスできて、ボランティアをするらしい。
修学旅行気分の人が多い。もう1年もたっているのだからそうだろう。
やっぱり若年層が多い。
私はその中でもおっちゃんチームに入った。
今日の説明を受ける。
前回と違うのは個人のボランティアではなくて、ボランティア団体に所属したボランティアなので、いうこと聞くしかないみたい。
朝からボランティア団体の活動の話を聞きながら車であちこちの場所を案内される。
町に花を植えていることや、雑草を抜いたり、掃除をしたり。
まさにボランティア活動だ!と私は思っていたが、隣に乗っていたおっちゃんがイライラしだした。
「そういうのじゃなくて復興の手伝いがしたい」のだそうだ。
でもガレキの撤去の手作業でできるようなものはもう終了しているだろうし、復興のボランティアってそもそもなんだろうと思うところだ。
その後も将来的に高台に避難場所を作る計画があるとか、山を切り崩して階段を作るとか(だんだん話がなんか怖くなってきぞ)
途中でトイレ休憩に中学校による。
避難生活や工事、撤去などしていたようだ。
大槌町の復興商店街だ。吉里吉里?という地区?にきている。
TVよくしている復興しはじめたって感じるような放送だけど、
実際は地元の人なんてほとんどいないのだそうだ。
工事の人、ボランティアの人を相手に商売をしている。
復興が近づけば、工事の必要がなくなる。ボランティアも必要なくなる。人が必要なくなる。ここの商店街は必要なくなるじゃないか?っていう話を聞いた。
確かにそんな気がする。なんなんだ。復興ってなどうなったらいいんだ。
人が集まらないと復興しようがない。でも人はドンドン減っていくのだとか。
様々なメッセージの横断幕だ。
魚の販売している。
原発の問題はどうなのだろうか?影響はあるのだろうか?
原発の問題も放射線も問題も知らない。
検査もしていない。
大丈夫かどうかなんて わからないけど、今まで通りの仕事しかできない。
価格もふつうの値段。
正直食べるかどうか迷った。
話も考えも本当に様々だ。ある人の話では絶対に子供には食べさせない。
ある人の話では問題がないと役所は言っている。
ある人の話では関係がない。
まぁ、食べましたけどね。大丈夫かなぁ~という不安が残る。
一時期「東北のものを食べよう!」のような風潮があったし、問題ない!ってテレビでやってたし、全部検査してる!って言ってても実際は一切信用なんかできないな。って思った。
放射線の話は風で流れるのだからここだけも問題じゃない。東北より北側はかなり汚染されてるよって話が出たりもするし、みんなそれぞれが本当に調べている。その情報が正しいかどうかはわからないけど。。。(海外のニュースチェックしてる)
ガレキなどは撤去されているようだったけど、あちこちが凸凹で、海水の上がっているところや、住めないけど壊していない建物もたくさんあるようだ。
この日はこれと言ってボランティア活動したワケではなかったけど、いろんな人から情報を聞いた。
ガレキの撤去もだいたい終わっている。
今気になるのはやはり原発の問題だ。
私は南相馬市、福島原発を見に行こうとボランティア団体にお礼を言い、
車を走らせた。
つづく